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TOPDigitalVillageサロン>No.31
メ)映画会社のロゴやタイトルが今回のシリーズのテーマなのになかなか進まず読者の方々大変申し訳ありませんです。
芦)仕方ないですよ。ショックな訃報が相次いでいますから。
メ)それともう一つお詫びを。前回リチャード・ウィドマークの話を延々とやったのに彼の写真が1枚も載ってないとお叱りをたくさんいただきました。
芦)ずいぶん探しましたが、なかなか見つからなくて。DVDの表紙を飾っているのは他の俳優ばかり。「ノックは無用」なんかモンローだけです。私は大ファンですけれど、一般的に彼は人気ないんですかねえ。
メ)やっぱり助演どまりのイメージなのかなあ。日本の役者に例えれば成田三樹夫って言ってるんだけれど。まあそういうことでこの1カ月は監督の訃報が相次いだね。
芦)私にとっては何と言ってもショックだったのはシドニー・ポラックです。
メ)そうだね。「トッツィー」「コンドル」「ザ・ファーム」・・・・
芦)数え上げたらきりありませんが、わたし的には断然「追憶」(’73)と   85年のアカデミーをとった「愛と哀しみの果て」です。

追憶
メ)
同感だね。「追憶」はバーバラ・ストライザンドが♪〜メ〜モリ〜♪と歌って大ヒットした。でも俺は何と言っても「ひとりぼっちの青春」(’69)だなあ。二度と見たくないくらい重くていやんなっちゃう作品だけど。
芦)傑作ですね。マラソンダンスの大会を舞台にした作品でしたね。
メ)そう。70年の末に公開された作品だろう。60年代末から70年代前半にかけて国内でも学園紛争の嵐が吹き荒れてさ。フランスなんかでも五月革命が起こり、世界的な混乱の中で行き場を失った若者のやるせない心情を描いた名作がたくさん出来てねえ。「いちご白書」(’70)とか。その中でも飛びぬけて良く出来ていたというか重い作品だった。
芦)救いようのない悲しい内容でしたね。日本でも「妹よ」や「赤ちょうちん」など一連の藤田敏八ものがありました。少し年代は後になりますが。
メ)劇画で言えば上村一夫の「同棲時代」ね。映画化もされて。あ、あ、あの由美かおるさまだ!
芦)歌も大ヒットしましたっけ。
メ)大信田礼子ね。それとちょっとタイプは別だけど「若者たち」や少し後の「八月の濡れた砂」とかね。
芦)あなたは青春真っ只中。話は尽きないでしょう。
メ)そう邦画は暗く救いがなかったんだけどまだ洋画のほうは甘さがあった。67年のカンヌのグランプリをとった「if・・もしも」なんかの方が甘さがあった覚えがある。
メ)そう「追憶」にはロマンチックな匂いと感傷があったけどね。確か原題が「THEY SHOOT HORSES,DO'NT THEY」ー”彼らは廃馬を撃つ”とかいうホレス・マッコイの小説がもとになっていた。原作も読んだけれどやっぱりしんどかったなあ。今だったら絶対にページをめくらない。
芦)今の団塊世代にとってはもっとも想いが強い時代でしょうねえ。
メ)救いはやっぱりジェーン・フォンダが素敵だったことかなあ。
芦)やっぱり最後はそこへ行くんですねえ。そんなに重くても女の人の魅力は感じちゃうんですね。
メ)当り前じゃない。ジェーン・フォンダをいやらしさ一杯の魅力的な女に作り上げたのはロジェ・ヴァデムだけれど大人の女性に仕上げたのはポラックだというのがおれさまの主張なの。レッドフォードと出た「出逢い」(’79)とかもね。ロデオの為に確か都会に連れてきた馬を故郷に帰してやるとかいういいお話だった。

バーバレラ
芦)
ええ〜っ!ジェーン・フォンダについて喋っていいのなら言っちゃいますよ。「バーバレラ」(’68)や「獲物の分け前}(’66)すごくいやらしかった。
メ)珍しいねえ。女性について君がそんなにむきになるの。俺は「コールガール」。(’71)あっ![輪舞」(’64)もあった!あの映画の中でベッドにうつ伏せになった彼女が向きを変えるシーンがあって一瞬おっぱいの先がちらっと見えるんだ。隣に座ってた奴がズ〜っとカメラを構えていてその瞬間パチッ!とやった。
芦)それは変態です。当然怒ったんでしょう?
メ)うん。睨んでやったんだけど本当は俺にも写真分けてって言いたかった。
芦)最低ですね。
メ)君は女性をいやらしい目で見るからいかんのだよ。彼女がデビューの頃の「のっぽ物語」(’60)ではほんとに新鮮で可愛かったんだぜ。相手がアンソニー・パーキンスでバスケットの選手だったなあ確か。グリーンのランニングシャツを着ていたっけ。
芦)彼じゃあシャワー中にフォンダが殺されちゃう。
メ)パーキンスだって若い頃は魅力的で日本の若い娘をブヒブヒ言わしていたんだよ。若さが一杯のオードリーと共演した「緑の館」(’59)を見てごらん。彼がおかしくなったのは丘の上の洋館に住んでからさ。
芦)今の映画ファンはずっとあのキャラの役者と思っているかもしれませんね。私の母も名前を”トニパキ”なんて呼んじゃって壁にでっかいポスターを張るくらい大ファンだったんですよ。
メ)へえ〜。まあそういう訳であの初々しかったフォンダをいやらしさ一杯の女に仕上げた憎っくき男がヴァデムなんだ。
芦)私にはまだ駆け出しだったロバート・レッドフォードと共演した「裸足で散歩」(’67)が懐かしいですね。新婚旅行でニューヨークへやってきた二人がホテルの部屋に閉じこもっちゃってドアの前に新聞がどんどん積みあがっていくきわどいお話で。
メ)いいぞいいぞ!今日はどんどん話がいやらしくなって行く!そんな清純無垢の女優たちをあのにっくきヴァデムがいやらしくしちゃったんだ。ブリジッド・バルドーもしかり。むむむ・・許せぬ。
芦)ほとんど狂乱状態ですが、でもおっしゃる通り。作品はたいしたことないのに、女性だけは素晴らしく造りあげちゃう。
メ)俺様も見習いた〜い。イヒヒ・・・・
芦)また話が全然違う方へ行っちゃうから戻しますけれど。レッドフォードと言えば「追憶」についてしゃべらして下さい。
メ)ちょっとだけよ〜
芦)あの映画は生涯忘れられませ〜ん。学生時代、東京から戻ってですね・・・
メ)おうおう”芦田手太の青春ストーリー!”。
芦)最初の彼女と見たんです。これがまれにみる美人で、やっぱりどうしたって映画館の暗闇では手を握りますよねえ。
メ)春だ〜!
芦)だからストーリーは全然覚えていません。
メ)セリフくらい覚えているだろう?
芦)それが胸がどきどき鳴りまくりで。音楽も耳に入らなくて。神経はただひたすら指先に集中しており。
メ)ヒヤ〜!痴〜漢!馬っ鹿じゃないの。
芦)いやあ本当にきれいだったんです。清楚で、控え目で・・・
メ)いつまでもやってなさい!大体大学生にもなって最初の彼女ってのがイカン!もてんかったんやなあ、それまで。おれさまはその頃もうすでに両の手に余るくらいの女性とだなあ・・・・・
芦)だから「追憶」なんです。映画も実生活も。
メ)こいつめ!上手くまとめやがって!監督といえばもうひとりジュールス・ダッシンが3月31日に亡くなった。96歳の高齢だった。
芦)「日曜はだめよ」(’60)の監督ですね。私はほとんどそのくらいしか記憶がなかったので、ちょっと調べてみたんですがびっくりしました。前回のウィドマーク特集で話しましたけれど彼のデビュー当時の「街の野獣」はダッシン監督作でした。
メ)そうだったんだ。確かにハードボイルドというかフィルムノワールというかとにかくドキュメンタリーっぽい作風が魅力で例えばマイケルの親父のカーク・ダグラスが出た「裸の町」(’48)や「真昼の暴動」(’47)という素晴らしい作品があって俺には社会派というイメージだった。
芦)そうですね。だから例のマッカーシー旋風の中で赤狩りにひっかかってしまったんですね。非米活動委員会でエドワード・ドミトリクの裏切りにあい、コミニュストと告発されて欧州へ脱出したということでした。
メ)そうだったねえ。ドミトリクって「折れた槍」(’54)とか「ワーロック」(’59)とかウエスタンでもひとひねりあって評価しているけれど許せん輩だなあ。
芦)それでギリシャで「日曜はだめよ」を撮ったんでしょう。
メ)確かにコメディーのジャンルにくくられているけど、ハリウッドのノー天気な喜劇とは全然テーストが違うよ。
芦)「日曜」は歌も大ヒットしましたね。私の記憶は中身より彼の奥さんのメリナ・メルクーリのいやらしさばかり。
メ)おうおう今日はどおしちゃったんだ。さかりがついたか。春が来たか!その通りだ。ラテン的でポスターもちょっと斜め下目から全身をあおったカットで。
芦)ハリウッドの肉体派とは明らかに違う妖しさがあり。シルバーナ・マンガーノとかと同じで。カルディナーレはなんとなくその中間ですね。
メ)そうなんだ。女性はラテ〜ン的でなけれ〜ば!ソフィア・ローレンとかジーナ・ロロブリジダね。俺はひそかにシルバ・コシナが超いやらしげで好きだったの。
芦)やっぱり団塊世代は一見まじめそうだけれど根はおスケベですねえ。
メ)もっと言えば、モニカ・ビッティの厚い唇とビルナ・リージのほくろとさ。ああもう駄目止まらない。ほくろと言えばテレビ映画「ハニーにおまかせ」のアン・フランシス、若尾文子さま,山本富士子さま・・・
芦)ラテンもなにもないじゃないですか。もう手がつけられないって怒りたいんですが白状すると今日はよ〜く気が合いますねえ。
メ)うむ。正直でよろしい。いやらしい話はお互いに大好きだからねえ。監督と言えばもう一人。ジャン・ドラノワが6月18日に亡くなった。
芦)その辺になると私はもうまったくついていけません。
メ)俺だって若く品のある美しさがもう際立っていたミシェル・モルガンの田園交響楽」(’46)くらいしかしか知らない。大体まだ存命だったとは夢にも思わなかった。
芦)ちょうど100歳と新聞記事にありました。
メ)ジャン・コクトーの時代の人だからねえ。びっくりしたと言えば更にもう一人。ミュージカルの歌姫シド・チャリシーがその前日に亡くなった。
芦)私もまだ生きていたとは思いませんでした。びっくりですね。
メ)86歳だってねえ。「雨に歌えば」(’52)ね。
芦)「バンドワゴン」(’53)。華やかでしたね。
メ)ジーン・ケリー、フレッド・アステア。ハリウッドミュージカルが一番輝いた頃だねえ。お御足がきれいでね。
芦)映画人の訃報特集をやるのなら本当はこの辺で水野晴朗が登場しないといけないんですが。一応監督をやっていますし。
メ)わたしは厭。あまり好きじゃない。「シベリア超特急」なんかぞっとする〜。
芦)同感です。でも彼も含めて皆さんに合掌しましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メ)それでは久し振りに映画会社のタイトルマークの話に行こうか。
芦)どこまでやりましたっけ?
メ)アライド・アーチストの戦争映画の話だ。

昼下がりの情事
芦)
私は全く知らない世界なのであの後調べてみたんです。あなたはC級で戦争映画しか作っていないと言ってましたがなんとあのヘップバーンの大傑作「昼下りの情事」(’57)がアライドの配給でした。
メ)ええ〜っ!ホント?じゃあ他にもあるのかなあ。なんせちっちゃな頃の記憶だから仕方ないけれど。
芦)「昼下がり」は彼女とクーパー、それに監督がビリー・ワイルダーでしょう。錚々たる顔ぶれですよ。それをかつぎだすってのは大変なことでしょう?C級会社にはとても出来ない芸当だと思いますが。
メ)そうだねえ。あの作品は「ローマの休日」より後だろう?(’53)ヘップバーンだって断然もう大人気スターになっていたはずだしねえ。
芦)この間に「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「パリの恋人」と代表作が三本も撮られています。アライドにはなにか大当たりした作品があったんでしょうか。いずれにしろ私は当時はどこの映画会社なんて気にもしていませんでした。でもあの作品は私のベストテン作品です。えら〜いぞ!アライド・アーチスト!
メ)俺も大好き。C級西部劇ならリパブリック、C級戦争映画はアライドって覚えていたけれど反省しま〜す。あのチェロのケースに隠れるシーンしか覚えていないけれど久し振りに見てみようっと。
芦)笑えますよ。
メ)てな訳で次回からはアメリカ映画以外で攻めよう。
 
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