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メ)今回は久しぶりにお悔やみコーナーをやらなくて済みそうと思ったらそうは問屋が許さなかった。松竹の監督三村晴彦さんが亡くなった。(8/2)
芦)デビュー作の「天城越え」(’83)はよく出来ていましたね。腕があるのに作品の本数が少ないのが残念です。助監督の時代が長すぎたんでしょうか、野村芳太郎や加藤泰といったエライ監督ばかりですからね。
メ)そうそうたる監督についていたんだ。腕は確かなものがあったんだろうにね。
芦)彼らの犠牲になっちゃったところがあって、気の毒です。
 天城越えメ)「天城越え」は好きだったなあ。石川さゆりの歌も大好きだけど。関係ないか。とにかく田中裕子が素晴らしかった。彼女の最高傑作だね。ジュリーもあの映画を見てコロッと参ったのかも。
芦)私もコロッと参った口です。でも彼の真骨頂はやっぱり助監督時代の作品でしょう。何といっても江戸川乱歩が原作の「陰獣」(’77)。監督は加藤泰です。今年フランスでリメイクされ、つい先だってのヴェネツィア映画祭でも話題になったとのことです。
メ)篠田正浩の「瀬戸内野球少年団」の続編も彼の作だったねえ?
芦)「青春篇・最後の楽園」(’87)ですね。私はあまり評価していません。一作目と比べたら月とスッポン。トシちゃんですからね主役が。
メ)比べちゃ可哀想だよ。だってアノ夏目雅子さまがヒロインだからね。仕方ないさ。
芦)一作目もやっぱり当時大アイドルの郷ひろみを引っ張り出して興行の成功を狙っていたフシがありますけれど。ちょっとあれではね。
メ)続編の出来が落ちるという典型だねえ。なぜ三村監督ともあろう人が担ぎ出されたんだろう。きっと複雑な裏事情があるんだろうね。
芦)とにかく「彩り河」「愛の陽炎」の4作しか作っていませんから。あとはテレビのドラマとか2時間サスペンスみたいなものを作っていたようです。
メ)映画の良き時代をはずれてデビューしたのが不運だったんだね。しかも年齢的にはベテランの歳でね。俺は松田聖子の「野菊の墓」(’81)なんかを作らされて、それでもしっかりとした作品に仕上げた澤井信一郎とどこか重ね合わしちゃうんだけど。
芦)あれもよく出来ていましたね。アイドルものの枠を超えて。
メ)俺は撮影現場に行ったことがあってデビュー作というから若い監督かと思ったんだけど結構ベテランそうでえらくびっくりした。
芦)1938年生れと言いますから43歳のときです。
メ)監督としては一番油が乗り切っている頃のデビューだね。それはそうとあの作品で聖子の相手役を演じた桑原正って子役はどこへ行っちゃったんだろう。例の有名なセリフ「僕は野菊が好きだ。民さんは野菊のような人だ」っていうあの子。
芦)あなたにはおよそ似つかわしくない言葉ですけど、確かにあの作品だけで消えてしまいましたね。よっぽど芝居が下手で、相手にされなくなったのか、それとも生意気で干されちゃったんでしょうかね?
 野菊の墓メ)意地悪だなあ。自分から辞めたような記憶があるよ。芸能界が向いていないと思ってすっぱり辞めちゃったんじゃない。本当の理由は知らないけれどすがすがしいじゃない。たいして芝居もできんのにワイドショーのカメラマンを大勢従えて歩く最近のお姫様気取りのおバカ女優たちが芸能界にしがみついているのを見るといさぎよくてさ。
芦)それにしてもあの頃いい歳でデビューした監督たちは不運でしたね。映画がテレビに押されて元気がなくなっていく時代ですから。
メ)当りいい企画があっても資金が集まらなかったりしてね。自由に映画を作りにくかったからなあ。役者の人気だけにおんぶした安上がりのものとかばかりでねえ。バリバリの若さで今頃デビューしていたら彼らは素晴らしい作品をたくさん産んでいるだろうにね。
芦)最近の映画界はタレントやTVディレクター上がりの全然畑の違う人たちが独りよがりのセンスだけで簡単に映画を撮っちゃっていて、しかもそれが大ヒットしたりして情けない限りです。
メ)おうおう、珍しくいいことおっしゃるです!
芦)そもそも澤井はマキノ雅弘や鈴木即文にしごかれた助監ですから。筋金入りで。あの名作「Wの悲劇」('84)を作っていますし。
メ)そうなんだよ。あれはイイ。大傑作!
芦)それなのに他に名前が挙がる作品が「めぞん一刻」や「福沢諭吉」「滝廉太郎物語」。モーニング娘。が総出演の「仔犬ダンの物語」。確か最近では1年くらい前の「蒼き狼」ですよ。悲しすぎません?。
メ)そうだね。職人監督だからどんなものでも手堅く作っちゃうけどね。
芦)マキノ雅弘監督をアシストした「昭和残侠伝 死んで貰います」(’70)や鈴木即文と組んだ「トラック野郎」シリーズ。最高の助監督ですね。
メ)映画史に残るような作品を発表して欲しいねえ。さてもうひとり直接の映画人じゃあないけれどソウル歌手のアイザック・ヘイズも亡くなった。(8/10)
 黒いジャガー芦)「黒いジャガー」(’71)の主題歌を作曲して大ヒットさせたんでしたね。
メ)音楽が出たついでにちょっと脱線しちゃっていい?。
芦)いつものことでしょ。
メ)ジャズの世界でも残念なことがあって、ジョニー・グリフィンとジョー・スタッフォードが亡くなってしまった。
芦)そうでしたねえ。ジャズの巨人たちがどんどん世を去っていきますねえ。
メ)ソバ屋のBGにもジャズがかかるようになって、儲けにならないとぼやいていたレコード会社にとっては喜ばしい限りかもしれないけれどジャズまでお手軽になったんじゃ寂しい限りさ。真っ当に熱くテナー・サックスで吠えまくってくれる人だったのになあ。(7/25)
芦)80歳だったんですね。
メ)まだ生きていたとは実は知らなかったんだけれど、ジョー・スタッフォードも90歳で亡くなった(7/16)。俺は半世紀も前から大好きでねえ。
芦)まだガキの時代じゃないですか?ませていましたねえ。
メ)そう。俺の頭の中ではジャズシンガーというよりポピュラー歌手の一人だったんだ。「霧のロンドン」が大ヒットしてね。もっともあの曲しか知らなくて、ずっと後になって、ジャズボーカルにはまってから久方ぶりにまた彼女に巡り合ったってわけなんだけれど。
芦)あの曲はヒットしましたね。私もなんとなく覚えています。懐かしいですね。
メ)当時ラジオに帆足まり子の「S盤アワー」、薗礼子の「L盤アワー」といった
ポピュラー音楽番組があってその中で随分聞いたなあ。
芦)私は関西でしたし10年の歳の開きがあってあまり知りません。
メ)そうだね。テレビならネットがあるけれどラジオだからね。ベストテン番組の「ユアヒットパレード」というのがあってね。夜の9時半くらいだと思うけど「いま何がヒットしているかこれから何がヒットするか」という語りの後から♪ジャラジャラジャラ〜ジャン!ジャラジャラジャラ・・・♪ってテーマ音楽になるのね。あの語りは誰だったけなあ男の人。(あとで調べたら茂木幹広だった。お相手は田中マリ子。懐かしい!)
芦)何時もながらですが凄い記憶ですね。高槻では流石に聴けませんでした。
メ)プレスリーやパット・ブーン、ポール・アンカ、ニール・セダカなんかより少し前の時代だと思うな。おふくろも好きだったから。まだ小学校の低学年の頃だよ。
芦)ませていたんですね。でも話を聞いているとアメリカングラフィティー的な、こうなんか明るいアメリカンポップス好き少年という感じはしないですね。
メ)うん凄く暗いのが好きだった。アマリア・ロドリゲスの歌うファドの「暗いはしけ」とかねえ。少し陰のあるな知的な少年だったんだよ
芦)その反動でおバカなノーテンキおじさんになっちゃったんですかねえ。ところでこの連載は一応「シネマ天国」ですから本題に戻りましょう。
メ)いけねえいけねえ。それではタイトル特集に行こう。
芦)アメリカ映画以外ですね。
メ)俺が一番アメリカ映画以外で記憶にあるのはイギリスの”アーサーランク”かなあ。上半身裸の男がボツボツのでっかいドラを叩くやつ。
芦)今はたしか「ランクオーガニゼーション」って出ます。それも最近はあまりお目にかかりませんが。
メ)そうそう。リチャード・トッドというヌボーとした役者が出る「生きていた男」(’58)という作品を覚えているなあ。確かモノクロでC級モノかと思ったんだけど滅法面白いミステリーだった。隠れた名画と密かに評価しているファンもいるようだぜ。
芦)私は全然知りません。
 顔のない眼メ)それとあれは違うかなあ。「血を吸うカメラ」と「顔のない眼」。
芦)なんか題名からしておどろおどろしいですね。
メ)そう。ちっちゃな時に見たので細部は覚えていないけれど、どちらもショッキングで怖い映画だった。特に「血を吸う」(’60)は双眼鏡をのぞいてピントを回すとレンズのところからジャ〜ンとナイフが飛び出すんだ。
芦)私は見ていません。
メ)どちらもひょっとしたらランク作品じゃないかも知れない。ランクものって怖〜イってイメージがあったから結び付けっちゃって記憶しているのかも。(残念ながら「顔のない眼」(’60)はフランスとイタリアの合作だった)もう完璧にトラウマでストーリーも主役の役者も覚えていないくらいだからね
芦)私も記憶がありませんね。
メ)怖いと言えば一連のドラキュラモノは違ってたっけ。ピーター・カッシングとクリストファー・リーの活躍したやつ。カラー時代になってからは特にドラキュラの目が赤く光って恐ろしかった。それでも怖いもの見たさで、ファンだったんだよ。
芦)そうですね。小さい頃に見たせいかコッポラの作った奴なんかよりはるかに怖かった。
メ)同感同感。夜中にトイレに行けずオシッコちびったことあるもん。
芦)今もそうだそうじゃないですか。
メ)よ〜く知ってるなあ。でもあのドラキュラものはハリウッドかも知れない。そうだ! ハマープロだ。イギリスかなあ。
芦)日本では東和から配給されていましたが、まぎれもなくアメリカ産です。
メ)イギリス映画ではロンドンフィルムっていったかなあ。確かヒチコックの英国時代の作品がそうだったと思うけどね、それこそさっきのスタッフォードの歌の話じゃないけれど、ロンドンブリッジが頭に出たものがあったなあ。
芦)わたしは覚えていないですね。
メ)勘違いかなあ。作品のタイトルとゴッチャになってるのかも知れないけれど。とにかくさっきの怖い映画3本はもう一度見たいなあ。すっごく面白かったから。 チャンスがあったら読者も見て下さい。ホントに肝まで冷えますよ。
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