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TOPDigitalVillageサロン>No.56
芦)このコーナーに名前を出すと誰かが亡くなるというジンクスは相変わらず変わりませんね。女優のジーン・シモンズが亡くなりました。
メ)そうだ。前回「大いなる西部」(’58)のところで名前を出したんだっけ。そうするとキャロル・ベイカーも危ないかもしれん。
芦)シモンズはスキャンダラスな話題の少ない地味ですが綺麗な女優さんでしたね。
メ)うん。いかにもアメリカ美人という感じのベイカーより圧倒的に好きだった。清楚で。
芦)そうでしたね。作品の中でも最後にグレゴリー・ペックと結ばれるのは彼女の方だった。
メ)「大いなる西部」かあ。あのジェローム・モロスの音楽と疾走する馬車を遠景からフォローする素敵なタイトルバックを思い出す。
芦)撃ち合いやアクションシーンは少なかったですがアメリカの西部の雄大さを存分に描いてくれました。
メ)それと古き良き時代のアメリカの男の姿、女性の姿をね。僕はシモンズとペックが馬を引きながら草原を歩くシーンが好きだったけれど、一番話題になったのは果てしなく続くペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いだった。確か引き分けに終わったと思うけど、ありゃ絶対にヘストンの勝ちだ。
芦)ヘストンは筋肉でものを考えるタイプですからねえ。
メ)あのヌボーとした都会育ちの二枚目ペックが野獣派に勝てるわけがないよ。大体ヘストンは引退してからもあの憎むべき全米ライフル協会の会長を不届きにやっちゃって死ぬまで筋肉で考えていた人物だもの。
芦)女優の役柄はキャロル・ベイカーが都会の女、シモンズが控えめな地元の女性という設定だった。
メ)どっちが良かった?
芦)それは文句なしにシモンズでしょう。
メ)そうだよねエ。あの楚々とした美しさがねえ。ところが彼女が「スパルタカス」(’60)だったかでヌードになるシーンがあるってんで大ニュースになったっけ。それを知った高校生のおれたちは皆で映画館に出かけて固唾をのんで見守っていたけれどどってことなかった。全然裸見せてくれなかった。ちょっぴり安心もしたけれど。

大いなる西部
芦)清楚なんていいながらやっぱりスケベなんだなあ。昔から。
メ)やっぱり見たいものは見たいじゃない。それはそうと暮れから正月にかけては寒さと暖かさが妙に入り混じったいたせいか沢山の友人が亡くなってしまった。葬式の連続だったよ。
芦)そうですか。我々の世界でも声優さんでは目玉のおやじの田の中勇さんと郷里大輔さん、 それにミッキー安川。
メ)郷里さんはナレーターとしても活躍されていて仕事をご一緒させていただいたっけ。正月早々には双葉十三郎さんが亡くなった。
芦)99歳ですってね。あと少しで 百まで行けたのに。残念です。

私の採点簿
メ)「スクリーン」誌の「私の採点簿」ね。淀長さんが編集長だった「映画の友」の方が好きだったけれどあの頁は大ファンだった。
芦)私にとってはちょっと古すぎですね。私は年代的に劇場よりテレビからのスタートですから映画評論家といえばテレビに登場する解説者とイコールでした。代表選手は何といっても「日曜洋画劇場」の淀長さんですが。
メ)そうだね。一時は東京の全キー局が劇場映画の2時間枠を持っていたっけ。そんな中で最も映画を愛して誠実に語ってくれたのが”サヨナラサヨナラ”の淀長さんだった。
芦)それと荻昌弘さん。
メ)「あなたとまたお会いしましょう」と言ったのとか、 のちにアブナイ映画の監督したりした人もいるけれど。
芦)そのほかの人はろくなもんじゃない。女性たちも嫌でした。
メ)1月の仕舞にもう一人懐かしい方が亡くなった。近年は映画ではなく舞台に精を出していた夏夕介。
芦)「特捜最前線」ですね。
メ)元々オックスのドラマーだけど私にとってはテレビドラマの「愛と誠」だ。まだデビュー間もない池上季美子との共演だった。
芦)まだあなたが駆け出しのころですね。
メ)新入社員の私が手がけた最初の大仕事だった。当時宣伝部員だった私は 高校生の池上を連れて撮影所や出版社廻りの毎日だった。
芦)池上さんも可愛いかったでしょう?
メ)勿論可愛かったし新鮮な魅力たっぷりだったけれど当時から気が強かったねえ。曲がったことが許せない、はっきりとした物言いをするタイプだった。
芦)今でも片鱗はあるようですね。
メ)毎朝彼女の家にうかがって朝食を頂いてから仕事に入るの。忙しかったけれど、やりがいがあった。
芦)いい仕事じゃないですか。
メ)うん。彼女もスターになったしね。でも個人的に大好きだったのは、やっぱりデビューして間もなく一緒に仕事をした 風吹ジュン。モノすご〜くカワユかった!
芦)今だって超かわいいですよね。
メ)そうなの。 彼女が使っていたミニスキーをプレゼントされて今でも大事な宝物にしている。
 
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